思い出が滞留している、気がする

 何の匂いか今でも分からないけど、特定の匂いで春を思い出す。そんな風に、何かのきっかけで記憶が呼び起こされることは別にそんな珍しいことじゃない。通った高校を見かければ、遊んだキャンプ場への道を通れば、子供の頃に益体もない話をしたあの場所を通れば、あの頃の記憶を思い出す。

 そういうことを、昔は思い出がその場所を陣取っているとそう思っていた。

 そこを通れば僕は必ず、その思い出を思い出さなくちゃならない気がして、それが嫌で、僕はいつかは遠い所へ行きたいと考えていた。

 大人になるに連れて遊ぶ場所は東京へ移った。

 大学生の頃から薄々気が付いていたけど、やっぱり東京も多くの思い出に陣取られた。厄介なことに、駅前の造りがどこも似ているせいで、陣取られる面積は、思い起こされるものは地元の比じゃなかった。

 

 もはや、思い出が滞留しているんじゃないかという気がしてきている。或いは、山積しているんじゃないか。

 それが幸せなんじゃないかと思ったこともある。世界中を思い出で埋め尽くすことを幸せと言うんじゃないかって。

 本当にそうだろうか。

 

 思い出と向き合うこともせず、逃げることもしないで目を逸らしているだけだから、こういうことになっているのだろうか。

 

 僕はいつかは見たことも無い景色であの頃を思い出して、馴染みのある景色に何も思わなくなりたい。

 そうすればきっと、友達と同じ温度感で懐かしむことができるんじゃないか。