若さと失敗は近い位置にある
成人の日なので、成人式の話をしようと思う。
僕の町は地域というか、地元の中学校ごとに会場を決めているようなものだった。中学校群ごとに、という方が正確か。
会場には晴れ着姿の旧友たちがいた。
中学の頃は未知のエネルギーと使命感に突き動かされているような気がしていた。無軌道に生き合うせいで衝突したり、背中を押し合ったりする。
喧嘩の記憶はそう古くないけれど、馬鹿騒ぎしたその内容が、鮮明でない。
人は音から忘れると聞いたことがあるけれど、僕はあの頃の笑い声の重なりが、喧騒と呼べるまでになったあの音だけを覚えている。それを頼りになんとか、覚えているつもりでいる。
人は場所で振る舞いを決める。そう思っている。強く思っていたのはそれこそ中学や高校の頃だったと思う。
あの頃は人生の大半を学校が占めていて、部活動はそれに酷く近い位置にあった。塾はそれとは近くも遠くもない位置、後は何も無かった。
だから人生の幸せはほぼ家族か学校が決めるものだった。
自分がどこにいて、誰と仲が良いか。それはあの頃幸せと近い所にあるものだった。
幸せはみんなが決める一種類のものであるような気がした。
あの頃の僕を思い出すとまるで宇宙人みたいに思える。到底自分事には思えない。
あの頃のエネルギーも無ければ、あの頃ほど幸せの価値を他人に委ねられるようにも思えない。
二次会の終わり、わだかまりのあった友人と会った。
何気ない挨拶をした。僕らには何事も無かったかのようだった。
それは僕らが成長したからだろうか。それとも成人式の後のこの会場は、僕らに大人な振る舞いを求めたからだろうか。
不思議なことに、僕も彼も、その挨拶の時はそんなことを考えてはいられなかったと思う。
中学の頃の、目の前にしか焦点がいかないあの感覚に一瞬で引き戻される。
子供にしか分からない世界がある。大人が立ち入ることの出来ない場所がある。だから僕は今でもあの頃を思い出すとは自分事だとは思えない。
だけど、中学の頃の感覚に引き戻された時それでも確かにあの時が今と地続きにあるのだとそう思わされた。
そして3次会で初恋の人に会って変なこと言われて動揺したので、普通に地続きだった。あの頃の僕なんて宇宙人だから初恋も今とは切り離された別の物、みたいなことにしたかった。最悪だ。
総評としてまあ成人式は楽しかった。楽しいことが多すぎて書き切れないので、今回は書き切れるところだけを書くことにした。
成人式に行くと失ったものが分かるので、おすすめだ。
TOP久しぶりに行った
321号室でやってますって言われて3階行ったら普通に321号室2階でキレそう。
5/12 金曜日TOPに久しぶりに行きました。
後で知ったんですけど、TOP今年度初回活動日だったらしく、だからか解体新書みたいな紙が置いてありました。(自己紹介カードらしい)
僕はわりと当たり障りなく風味さんの愛を書き連ねただけだったので詳細は割愛します。
自己紹介カードには、ハンドルネームのない人が数名いました。普通あんまりハンドルネームって持ってないよね。
fameとハンドルネームを書いてない人のハンドルネームを考えよう、という話になり「ティンダー」というハンドルネームを思いついた(良い意味)のですが普通に却下されました。
初対面でポップにライン越えると、ぐっと距離感縮まるしツッコミやすいハンネかなと思ったのですが人間関係は難しい。fameでさえやめとけやめとけと言ってたので結構まずそうです。
結局ガンプラが趣味の人には弐号機(エヴァの)、ぷよ歴1分の人は1/3カップ麺というハンネを付けました。
因みに長いと却下されました。じゃあティンダーしかないじゃん。
よく考えたら滞在時間30分なのであまり書くことがありません。
初めてのらすけくんを見ました。
結局その後は飲みに行くことになり、二日酔いのたまやさんがダイソンみたいにビール吸引したり、
fameが自分の箸で取り分けたりレモンも醤油も無許可でかけたり俺のサンダル勝手に使ったり(潰す)、
よわぼんさんが俺の奇行を撮った動画を沢山持っていたり(大体酔ってやってます)してました。俺はfameとビールの写真を取ってfameを消しゴムマジックで消してました。

(心のキレイな人にだけfameが見える)
帰路につく時にふと、また少し肌寒い気温に戻ってきているな、と思いました。
僕はもうこのまま元には戻らないんじゃないかと思うほどに暑い日を、その時も待ち遠しく思っていました。
よくある質問と回答
Q.風味キッズである理由は?なぜ風味さんを好きなの?
A.理由を説明するのは難しいけど、風味さんを見ていると周囲や社会の為に自分を捨てて迎合する必要は無いと思えるから。(個性的でいて特定の人達には肯定されている人だから)
Q.まいく様と呼ばれ出した理由は?
A.ブログで「風味さんに勝てるはずもなく敗北しました」と書くべきところを「風味さんが勝てるはずもなく敗北しました」と書いた所から、実はめちゃくちゃ強いけど実力を隠しているのではないかという風説が出回った為。
Q釈明ってなんですか?
思い出が滞留している、気がする
何の匂いか今でも分からないけど、特定の匂いで春を思い出す。そんな風に、何かのきっかけで記憶が呼び起こされることは別にそんな珍しいことじゃない。通った高校を見かければ、遊んだキャンプ場への道を通れば、子供の頃に益体もない話をしたあの場所を通れば、あの頃の記憶を思い出す。
そういうことを、昔は思い出がその場所を陣取っているとそう思っていた。
そこを通れば僕は必ず、その思い出を思い出さなくちゃならない気がして、それが嫌で、僕はいつかは遠い所へ行きたいと考えていた。
大人になるに連れて遊ぶ場所は東京へ移った。
大学生の頃から薄々気が付いていたけど、やっぱり東京も多くの思い出に陣取られた。厄介なことに、駅前の造りがどこも似ているせいで、陣取られる面積は、思い起こされるものは地元の比じゃなかった。
もはや、思い出が滞留しているんじゃないかという気がしてきている。或いは、山積しているんじゃないか。
それが幸せなんじゃないかと思ったこともある。世界中を思い出で埋め尽くすことを幸せと言うんじゃないかって。
本当にそうだろうか。
思い出と向き合うこともせず、逃げることもしないで目を逸らしているだけだから、こういうことになっているのだろうか。
僕はいつかは見たことも無い景色であの頃を思い出して、馴染みのある景色に何も思わなくなりたい。
そうすればきっと、友達と同じ温度感で懐かしむことができるんじゃないか。
EVOJapan ぷよぷよ まいくの視点
はじめまして、まいくです。Alfさんの前でS級って呼ぶのやめろ。
さて、EVOJのぷよぷよに参加してきました😉
のでそのことについて書きたいと思います😎
自分の話をさくっと終わらせると、1回戦敗退でルーザーズに回り、4回戦敗退で終わりました。
半分満足、半分不満足みたいな気持ちでしたね。
さてEVOJのぷよぷよには色々な人がいました。知り合いも多くいたし、プロも大勢、海外勢も数名いました。素晴らしいことです。
大会のレベルとしてはオフラインでは最上級と言っても過言では無いと思います。
1番印象に残ったことは、ともくんプロのことです。
最年少の高校生プロ。実力は折り紙付きの、優勝候補最有力の男です。
liveさん、SAKIさんと言ったプロ最上位勢を倒した後、MATTYANさんに敗れました。
強い人としか当たってなくて草。
ルーザーズではラウンド10で決勝に進めるのですが、惜しくもラウンド8でなしーさんに敗れました。
その時の彼は本気で悔しがっていたし、本気で落ち込んでいました。
その時の彼に小手先の慰めを言っても解決にはなりません。その感情は勝利ですすぐしかない。
彼は応援してくれる人達の期待を背負っていて、自分の為にも、誰かの為にも勝ちたい。
生半可な気持ちで戦っている訳では無いのだと、外から見ているだけでも十分に分かりました。
ああ、〝プロ〟だなとそう思いました。これは正しく1つのプロの形だと、かっこいいとそう思いました。
僕はその時、自分を恥ずかしく思いました。半分でも満足してしまったことを後悔しました。
僕も応援してくれる人はいたわけで。そんな中で生半な結果にそれとなく納得してはいけないと思いました。
そしてともくんプロはEVOJの翌日、新潟へ赴き、新潟でのぷよぷよの大会で見事優勝をするのですが、それはまた別のお話。
釈明
一年を振り返るだけの記事
2019年でした。
2020を目前して居続けた一年だったと言っていいでしょう。数字としても価値の高いその20と20の重なる年は、東京オリンピックの年です。
ですが2019年というやつは、振り返ってみれば前座なんていうこともなく、いい年でした。
長い記事です。
冬
春
夏
について記述しています。
冬
2019年は、しおさんとの100先からスタートしました。COUNTDOWN JAPANから帰り、そのまま100先を敢行。
ダブル近くの大差で負けて、眠りについた1/1でした。その日の調子は決して悪くはなかったです。
しおさんのチャンネルに動画あります。
僕は冬というやつが嫌いで、とても嫌いで、だからそれから春になるまでに、あまり良い思い出はありません。それでもあった楽しい思い出を少し書きます。
2月。
ぷよカップがありました。今でも、鮮明に覚えています。確かその時は、fameと話していました。ルビーくんの98世代リーグで対戦した時に初めて知り合い(8-20で負けました)、理大祭にゲストとして参加した時に少し会話をしていました。
俺はぷよ界に知り合いは多くなく、fameを見つけた時には、話せる人がいると喜んだことを覚えています。
俺がfameと話していると、ぐーさんとむなぞーさんが現れました。ぐーさんとは確か2018年11月大会(10月かも)の時に予選で当たっており、ぐーさんはその時予選抜けをしました(俺は0勝でした)。とある集団に囲まれていて(今思えばそれはTOPメンバーでした)、とても人気のある人だなと思っていました。また、俺がしばかずさんに初めて会った時に、ぐーさんとしばかずさんが一緒にいたため、そこでも見覚えはありました。
一方でむなぞーさんとは面識がありませんでした。背が高く、理知的な風貌をしていて、見た目からは礼儀正しいのだろうなという印象を受けました。
今は少しマシになったものの、この時は知らない人ばかりの状況にコミュ障を強めていて、俺は話しかけることはしないでいました。しかしむなぞーさんが挨拶をしてくれて、仲良くなりました。今ではクソリプを送り合っています(それもどうなんだと思うけれど)。
2月大会の終わり、99食事会のストーカーをするぐーさんとむなぞーさんについて行って食事しました。たしかメンツはむなぞーさん、ぐーさん、生ハムさん、fame、俺。ここら辺は記憶が曖昧です。
その時に、ぐーさんが「良かったらTOPに来て」と言ってくれたのを覚えています。
同じ店にいるので、会計の時にストーカーをしていたことがバレました。
99世代はチーズダッカルビを食べたのですが、そこら辺で色々あったことを知ったのは、もう少しあとの話です。
会計の時の、えるるうくんの「高くない?」という声を覚えているような、いないような。
冬にあったのはそれくらいです。今より更に弱かった俺にとっては、大会というのは見て、羨むばかりのものでした。
春
春が来て、俺の気分は最高でした。理由は春が冬から最も遠い季節だからです。そして大好きな夏はもう目前ですから、花粉なんて気にしてませんでした。
初めて行ったのは、いつだったでしょうか。
少なくとも確定している事実は、5月頃にTOPに行っていたことです。
ぐーさんに誘われてなお尻込みしていましたが、fameがいるのなら、とTOPに行くことを決心しました。
それはまだ寒い時期で、恐らく4月だと思います。あるいは2月か3月か。
しかし結局、fameはバイトの関係で夜遅くに現れ、むなぞーさんもまた19時頃に現れたのでした。
昼頃、ぐーさんと、まつおさんと、たかださんと、俺とかそこら辺で大富豪をしたのを覚えています。今思えば、メンツが濃すぎるだろ。
僕はfameの到着を内心で待ちながら、最後に残った❸の札を握りしめていました。イレブンバックを期待して。
それから少し経ち、恐らく4月頃にもTOPに行きました。
確かそこで、いおなくんと知り合ったのでした。彼は好青年で、丁寧で優しい人です。彼に「TOPに入らないんですか?」と言われて、認められているような気がして、嬉しかったことを覚えています。
しかし、俺はTOPに入りたいという意志を示すには、まだTOPに詳しくないと考え、TOPに入るという気はありませんでした。(1番懸念していたことは、俺がTOPに入ることで、不利益になる人がいることでした。当然、俺より先にTOPにいたであろう誰かが、TOPに対して俺のせいでマイナスイメージを持つということが無いように慎重になっていました)
彼がテトリスがとても上手いと知るのは、それから少しあとの話です。
ぷよカップ5月大会はその前か後か、分かりませんが、その近くにありました。結果を覚えていないので恐らく、一勝とかその程度でしょう。
ぷよカップの終わり、TOPの一部メンバーや99世代とサイゼリアに行きました。(一応言及しておきますが、大ライスは注文していません)
確かそのエレベーターで、いのうえくんと会ったのでした。彼は俺のスマートフォンの画面にうつった、赤いアイコンと文字から「まいく」だと理解して話しかけてくれたようでした。相変わらずコミュ障だったので、話しかけてくれてありがたかったです。
その時の彼はまだ、風味キッズではありませんでした。
調べたところ、俺がTOPのLINEグループに入ったのは5/17でした。
とにかく拗らせていた俺は、TOPに入るかどうかということはとても難しい問題でした。
fameがそろそろTOPに入る?と言ってきたことは、鮮明に覚えています。
続けて彼は、理大祭には参加すること。新入生と仲良くすること。という話をしました。
彼は分かっていてそれを言ったのか、単に俺がただ入ることに不安がってそう言ったのか分かりませんでしたが、その話はとてもありがたかったです。
彼の言葉を受けて、自分は理大祭での準備、運営や新入生が馴染みやすいようにするという立ち位置でいれば良いと感じたのです。(つまり自分がTOPに対して生むかもしれない不利益を上回る貢献が出来れば、TOPに入ることを自分でも許せると感じたのです)
その時思い出したのは、fameが代表になりましたとツイートしたのを見て、彼のDMに手伝えることがあった頼ってと送ったことでした。
手伝う気があるのなら、TOPにいる方が良いと思いました。
当時、ここまでTOPに入ることに消極的ですみません。今では大好きです。
それから、俺はあまりfameの役に立ってはおらず、別に理大祭でも大して運営を手伝ったりはしないのですが、それはもう少しあとの話です。
夏
国体の予選をやっていました。スコアの関係で予選を抜けられないだろうと感じていて、また千葉にはレインさんやSAKIさんと言った強豪がいることもあり、出る気はありませんでした。
レインさんは国体前にTOPに来て、国体に行くかどうかについては「起きれたら行く」と言ってました。なので俺は、じゃあ俺はやめとこうと思いました。それから少し経って、香川県代表としてルカさんが出たと知った時に、(彼とはその時の半年前くらいによく連戦していたので)悔しいなと、置いていかれてしまったなとそう思いました。最近連戦しましたが、やはり置いていかれているように感じました。
そして、夏にはぷよ界を騒然とした一大イベントがありました。
次の記事に続きます。