一般論で言えば陰口は良くないよね、と言った。高校の頃の話だ。友達はその後にこう続く。
僕は陰口を言わない奴は信用しない。
何も嫌いじゃない奴が言う好きは薄っぺらい。それは僕だってそう思う。そういう意味では僕は“一般論”よりも友達の意見に近いとも言える。
何かを嫌いであることは僕を僕たらしめるような気がするし、僕の好きに説得力を持たせるような気がする。(嫌いを殊更に吹聴する必要があるかどうかは置いておいて)
一方で、陰口は僕を昏い思考に近付けるような気がしている。
いつからか、保険をかけるようになった。誰の目が気になるのだろうか。
陰口を言う度に、聞く度に目が増える。こっちを見ている気がする。糾弾しようと、その為の粗を探そうと言わんばかりの目が。
自意識過剰なのは分かっている。それでも僕がそうであるなら、僕は陰口から距離を取らなくちゃならない。
陰口と言っても、中には被害者が加害者を糾弾するようなものがある。
それを口にすることで何かを癒すなら、是非とも口にして欲しいと思う。
僕は陰口をおしなべて悪いと思う訳じゃない。
僕はそういう意味では陰口は良くないよねと言える。例外があまり多いけれど。
僕は僕の為に、陰口との付き合い方を考えないといけないのかもしれない。
陰口一つ、テーブルに乗せる。それがこの友情に参加する為のチップだった。
糾弾されるか否かの博打、薄氷の上で危険を乗り越えた友情はいつもより強固になる?
あれから少しは大人になったことを証明しなくちゃならない。
このカジノから足を洗うことで。